1985年の第1回目の開催では45組65人の参加だったが、応募者は年々増加。今年は1,022組の応募があり、選考委員会によって選ばれた県内外の約250組が参加する予定。北は北海道から南は九州、そして海外からクラフト作家が集う。分野は、ガラス・皮革・陶磁・木工・染織・金属・その他(石・楽器・紙・ろうそくなど)と幅広い。
「場所」と「時間」以外に大きな決まりはない。開始のあいさつもなければ、終了の合図もない。誰がどこにテントを張るかという割り振りもない。出展者は作品を持参し、場所と時間に合わせてやってくる。公園内の好きな場所にテントを張り、作品を並べる。テントの大きさも決められていない。隣に誰のどんな作品が並ぶかもわからない。ベテランも新人も一緒だ。会場の各所では作家とお客さんとのやりとりがくり広げられる。「コーヒーカップはないの?」「じゃあ今度作ってきます」といった光景が随所で。そして時間がくればテントをたたみ、砂塵が吹き抜けるように終わる。
そうした「自由」なイベントが、その規模で可能なのか?第2回目から実行委員としてイベントの運営をしている松本クラフト推進協会代表の伊藤博敏さんはその要因の一つを「ものを作っている人の意識の高さ」だと言う。以前は用意していたゴミ箱をなくすと、その後会場のゴミは減った。朝の搬入時の渋滞も「何分以内に搬入を」とお願いしたところずいぶん解消されたという。
もう一つの要因は来場客。「作品が好き」だけではなく「どうやって作られたのか、どんな人が作っているのか」という情報も知りたいという意識の高い客が全国からやって来る。この両者があってこそ「秩序があり、自由にできる環境」を作り、維持することができたのだろう。
では、なぜこうしたイベントが松本で行われるようになったのか。行政が中心になっているわけでもなく、並ぶものが地元のものというわけでもないのに、この地に根付いたことには何か原因があるのだろうか。
「持論だけど…」と前置きをしたうえで、「松本は何かを生み出すことは苦手な場所。ただ、新しいものはなんでも取り入れる場所」と伊藤さん。松本には城がある、アルプスがある。しかしひとたび街を歩くと観光客でにぎわう中町通りには「松本の店」は少ない。それはフェアでも同じことが言える。「クラフト=松本」というイメージはあるが、松本で作られた作品が売られているわけではない。「『松本らしさ』を探すと、そんなにないように思う。でも、ここは『生む』のではなく『発信』の場なのかもしれない」とも。ものを作っている人がいざ発信しようとしたときにそれを自然に受け入れる場所。だからこそ多くのクラフト作家が「第2の故郷」として信州に移り住み、工房を構え、作品を作る。そんな土壌がこの街にはあるのかもしれない。
その街とのつながりを意識して昨年から行われているのが「工芸の五月Matsumoto Crafts Month」。今年は4月26日~5月26日の約1カ月間の開催期間に合わせて、松本市近郊のギャラリーや美術館などが展示やワークショップなどを行う。2日間のフェアだけではなく、1カ月という一定の期間を通じて、公園を出て、街のギャラリーやショップでも、面白いものを見ることができるという機会を作ろうと企画した。「まずは1カ月。いずれは年間を通じた街のイメージになれば」という。
フリーペーパー「日和」で松本「工芸の五月」特集-期間中のガイドブックに(松本経済新聞)
「気軽にあの空間を楽しんでほしい」と実行委員長の花塚光弘さんは言う。花塚さん自身、第8回目のフェアにお客さんとして参加し、「のんびりしていて、野外の緑が気持ちよくて、みんな思い思いのことをしている」自由な空間に引かれ、9回目から出展をしてきた。運営に関わるようになってからも、「当日の朝、公園内に白いテントが張られていくのを見ると、今年も始まるなと胸が高鳴る」という。
5月の新緑、広い公園、見る人も出す人も心地いい-そんな天候・場所・人がそろったイベント。1日ゆっくり見るくらいのつもりで足を運ぶといい。芝生に座ってゆっくりのんびりしながら、また見て、おいしいもの食べて、また見て、というペースで。ぜひこの「心地いい空間」を共有してほしい。