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パリパラ・ブラインドサッカーの平林太一選手 松本美須々ケ丘高校で壮行会

あいさつする平林選手。「話すことを考えてきたのに、皆からのメッセージがうれしくて頭が真っ白になった」とも

あいさつする平林選手。「話すことを考えてきたのに、皆からのメッセージがうれしくて頭が真っ白になった」とも

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 パリ2024パラリンピックのブラインドサッカー日本代表として出場する松本美須々ケ丘高校3年・平林太一選手の壮行会が7月26日、同校で行われた。

拍手でエールを送る在校生

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 平林選手は生坂村出身。幼い頃に病気で両目の視力を完全に失い、幼稚部から松本盲学校に通った。小学1年生の時に、日本ブラインドサッカー協会が開いたキッズキャンプに参加したことがきっかけで競技を始めた。松本山雅B・F・Cに所属し、2022年、日本代表デビューで最年少得点記録を更新。昨年行われた世界選手権ではチーム最多の4得点を決め、パラリンピック出場権獲得に貢献した。

 1学期の終業式に続けて行われた壮行会は、同校生徒会が進行。平林選手が普段軽音部で共にバンドを組んでいる生徒の先導で入場すると、大きな拍手で迎えた。これまでの活躍を映像で振り返った後、生徒からの激励メッセージを紹介。平林選手に寄せ書きをした国旗と、校章と名前が入った横断幕を贈った。

 平林選手の強みを同校の久保村智校長は「足とサッカーボールが一体となったドリブルと、一瞬の隙も逃さない鋭いシュート」と評価。「自分で選んだ道のために努力を続ける、軸のぶれないまっすぐな姿勢、人間性こそが大きな魅力。パラリンピックでは、自分自身が納得するプレーをしてほしい」と激励した。

 松本盲学校の小林宏樹校長は、持参した同校や同サッカーチームに関わる人たちからのメッセージ中から、平林選手が母・小百合さんと同校に初めて訪れた2歳の時のエピソードを紹介した。当時、平林選手は一人で歩くことができなかったというが、小百合さんは同じ障害を持つ職員が長野パラリンピックの出場経験があることを知り、「太一もパラリンピックに出られるかもしれないですね」と話したという。その後、自身の体を守るすべを身に付け、走れるようになった平林選手の成長に触れながら、「周囲の方の支えと、自らの努力を自信に変えて、パリで思う存分暴れてほしい」とエールを送った。

 最後に平林選手があいさつ。「パラリンピックは一番の目標にしていた舞台。代表になることや、ゴールを決めることなど、今までにも夢をかなえてきたが、メダル獲得というのは、自分だけではなくいろいろな人たちの夢でもある」と話し、「メダルを首にかけて戻ってきたい」と力を込めた。

 パリパラリンピックは8月28日開幕。日本は9月1日の初戦でコロンビアと対戦する。

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