「隙間」(右から)第1~5号
― 抜け殻のような状態のところ申し訳ないですが(笑)、振り返ってお話を聞かせてください。そもそも、創刊のきっかけは?
江良:それまで僕は大学の生協の機関誌を作るサークルに所属していたのですが、その中で、自分たちの問題意識を反映させたものを作ってみたいという思いがあったことがきっかけでした。
新美:最初は1冊だけと思っていました。だから、とにかく自分が聞きたいことを聞きたい人に聞こうと。創刊号に「松本音楽座談会」という記事があるんですが、気合が入りまくって取材内容が収まりきらなくて…。今、思うともったいないな、という気持ちです。
― 続けることになったのは、県の「元気づくり支援金」があったから?
江良さん
江良:それもあります。でもその前に、当時松本パルコの店長だった北村良一さんと話をする機会があり、「継続したほうがいい」と言ってもらった。そのときはモチベーションも上がっていたので、続けようという気持ちが強くなりました。創刊号を制作していたときは、ちょうど就活をしていたのですが、結局やめて休学届けを出しました。
新美:そのころは、「定期刊行物として意味のあるものを作りたい」と思っていました。なるべくエゴイスティックな部分を消して、でも、ただ活動を紹介するだけじゃなくて、活動している人が何を考えているのかということを僕らが媒介して見せていきたいと考えていました。第2号を終えたあたりで書くこと自体が楽しくなってきて、意義があるとも思えてきた。読んでくれた人からの反応もあり、どんどん「自分たちが書く」という方向にシフトしていきました。そうなると、書きたいものがたくさんあるときもあれば、あまりないときもあって…。
江良:続けていくうちに、自分に問題意識がないと書けないという流れになってきた感じはあります。最初は、「フラットで客観的な議論」をしたいと思っていたんですが、そもそも議論は誰かが「これってどうなの?」って言わないと始まらない。それを自分でやらずに、「この人とこの人の意見がぶつかっています」というのも変じゃないですか。だったら自分たちが問題点を出さないといけないと思うようになりました。
新美:振り返ってみると、僕は第1号と第2号はかなり書いた感じがあって。その後、「もう言いたいこと言っちゃったかな」みたいな気持ちになっちゃったところもあります。
江良:特集は基本的には各号一つなので、「誰かの特集」にならざるを得ないところがありました。第3号は僕の問題意識がベースになっています。だから、やっぱり思い入れもあります。
新美さん
新美:第3号は読み手として好きだけど。
澤谷:でも、新美くんの色は感じないよね(笑)。
江良:第4号は振り返ると、ちょっとね…(苦笑)。
新美:なあなあで作ってしまった感じがあります。議論はしたんだけど…とにかく制作がつらかったという記憶しかありません。
― いろいろ葛藤しつつ、何とか発行した感じですか?
新美:もう、毎号試行錯誤ばかりでした。試行錯誤しかなかった。
江良:第2号以降は、そうやって試行錯誤している感じをコンテンツにしていたようなところもあります。もう、それをそのまま。「あとがき」も自意識過剰な感じで書いていました。「悩んでいる学生」みたいな方がむしろ喜んでもらえるか、とか考えちゃって…。でも、それも限界というか、やりすぎた感じがありますね。
新美:元気づくり支援金をもらえることになった後、「これはまちづくりの一環だから」という話をするようになりました。
澤谷:1年生から出てきた原稿を見て、「『元気をつくる』って考えるとちょっと違うかな」とか。
江良:元気をなくしかねない内容だったり、まったく関係ないサブカル的なものだったり。第2~3号あたりは「『隙間』でやる必要性」を常に問いながらやっていました。
澤谷さん
澤谷:一冊通してのコンセプトとか、すごく考えたよね。
新美:コンセプトはどこにあるんだろう、これはコンセプトに合っているんだろうかって。「好きなものやっているだけです」ってスタンスで行けば楽だったのかもしれないけど…。そこで必要以上にぶつかった。でも、そういうことが僕らには必要だったのかもしれませんね。
江良:一方で、フリーペーパーは(広告を出してくれる)スポンサーのためのメディアだという思いもありました。単なる紹介記事にはしたくない、他のメディアとは違うものにしたいって。最初はかっこつけていたというか、意気込んでいた部分もありました。
― そうやって考えてきて第5号を出したわけですが、何か答えのようなものは出ましたか?
新美:答えは出てませんね。
江良:答えじゃないけど、書き方として限界が見えたかな…。
澤谷:でも、第5号ではずっとしてきた話をコンテンツとして各自が出せたと思います。「つながる、つなげる」というのは。そういう意味で総括的なものにはなったと思います。
― これで休刊、ということになりますが…。
江良:僕ら世代が卒業してから、後輩たちが続けるかどうかという話はずっとしていて。僕は「続けたかったら続けて、続けたくなかったらそれでいい」と言っていました。
新美:多少質が変動しても、名前が続いていくというのはかっこいいことではあると思う。自分の中では、引き継いで、続けてほしいと思っていたときもあります。
澤谷:「続けた方がいい」と言ってくれる人も結構いました。
新美:でも、ルーティンで続けても仕方ない。情報誌でもないし、フォーマットがあるわけでもないので。無理してまで継続していくものでもないですよね。
江良:「隙間」の名前で続けていくと、過去のものと比較されて評価されてしまうだろうし、それなら別のかたちにしてもいいんじゃないかなって。それに引き継ぐとしたら今の2年生が中心になると思うけど、彼らはフリーペーパーというかたちじゃない表現の方法も持っている。音楽とか、漫画とか。だから、僕らが選択した紙媒体っていう一つの表現にこだわらなくてもいいのかなと思っています。
新美:「フリーペーパーの『隙間』」はいったん休刊しますが、今後、いつかまた何かするかもしれません。「隙間」としてか、別のものとしてかは分からないけど。そして、それは彼らにとってもそうだけど、僕たちにとっても同じことかなって思います。
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3人は春から、それぞれの道を歩き出す。県内で就職する人、いったん活動の場を県外に移す人、新たな場を作る充電期間に入る人…。家賃3万5000円という格安物件だった「隙間荘」は今後、工事が入る予定だという。
「隙間」を通じて3人が得たもの――今、それは明確に言い表せるものではないのかもしれない。しかし、かたちを変えていつかどこかでまた出会えるような気がするし、出会えることを願う。